毎週金曜日更新。エッセイ。
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めんどうくさい
小さいころ、「面倒くさい」と言うと、父や母によく怒られていた。だから、大人になって「面倒くさーい」という人には敏感になってしまった。「面倒くさいって言うな!」と、怒っていた両親と同じ口調で注意したくなる。親に注意されたことって、思っている以上に子供心に大きなインパクトを残す。忠実に心の中に刻まれているのだ。

面倒くさいと思ったことでよく覚えているのは、夏休みのラジオ体操。朝もやの中、近くの空き地へ行ってまず第一を、続けて第二を体操する。毎日同じことを繰り返すのが面倒くさくて、くさくてたまらなかったけれど、1日でも休むとハンコがもらえず、休んだことが学校にばれてしまう。だからいやいや行っていた。

いやいやがピークに達したとき、私はずる休みを決めこんだ。「もう今日はダメ。休む」と言って、時間になっても布団から出なかった。すると、ふだんはあまり怒らない父が私のおしりを思いっきり何発もぶった。父の手は大きくて分厚くて、痛かった。「ずる休みはダメだ!」と大きな声で怒られたのが怖かったので、私は急いで着替えて泣きながらラジオ体操へ行った。もう第二にさしかかっていたけれど、ハンコはちゃんともらえた。

「こんなことなら、最初から行けばよかったんだ」、と帰り道につぶやいたのは言うまでもない。

そう、面倒くさいと思って物事を避けて通ると、あとからもっと面倒なことが待っている。大人になった今でも、「ああ、あのとき手を抜かずにやっていれば…」なんて思いをすることがしばしば。口には出さなくなったものの、心の中では面倒くさいと思ってしまうことはたくさんある。いったいいつになったら学ぶのか、なるべく5年以内には「あのとき、面倒くさがってたわね私」なんて余裕のある大人になっていたい。

ブツクサいいながら毎日ラジオ体操に通っていたおかげで、今でも第一、第二の体操をよく覚えている。たまに早起きするとチャンネルをAMに合わせて体を動かしている。おばあさんになっても続けることができて、心も体も健康でいられたら、「面倒くさい」の呪縛からやっと解けたことになるのかしら。
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夏のある日
 子どものころ、夏休みになるとよく河口湖へ行っていた。私の家族3人と、母の兄家族5人、そして祖母の計9人で。このときの思い出は今でも色鮮やかに覚えている。地元の人がもいでくれた、採れたてのきゅうりにみそをつけて食べたこととか、従兄弟たちとDJごっこをして、声を録音したこと。夜になると、だれが祖母の隣で寝るかで毎晩ひと悶着、というのがお決まりの光景だった。4人のうち、じゃんけんで勝った二人が祖母の隣で寝る権利を得るのだ。夏なのに隙間がないくらい祖母にくっついて眠り、いつの間にか朝を迎えることが、最大の幸せだったあのころ。
 私たちは祖母のことが大好きで、祖母もわたしたちのことを平等に大好きでいてくれた。今、そのことを思い出すと胸がいっぱいになり、泣きそうになる。祖母は去年の12月に他界してしまったけれど、私たちの心に遺してくれたものは計り知れない。
 2つ下のいとこは結婚をして、2人の子供の母親になった。2人の子供たちは私にも懐いてくれていて、私も2人が可愛くて仕方がない。子供と接していると、祖母が私にやさしくしてくれていたことを思い出して、あたたかい気持ちになるのだ。


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近々、書きます
 このブログを気にかけてくれているみなさまへ

毎週金曜日更新と書きながら、ぜんぜん書いてなくてすいません。
週末に頑張って書こうと思っているので、もしよかったらまた覗いてみてください。

このあいだ、ビーサンで新宿に行きました。
「借り暮らしのアリエッティ」を見に。
これまで海辺でしか履いたことがなかったビーサンで新宿をぺたぺた歩きました。
砂ではないので足跡はつかなかったけれど、ビーサンで新宿を歩いた堅い感触が残っています。
新宿は軟らかくない。

ぺたぺたさん、という川上弘美さんの小説を前に読んだことがあります。
どんな話だったか覚えていませんが、切ない気持ちになったことは覚えています。
もう一度読んでみようと思います。

画用紙にすいすいっと自由に絵を描くように、
何かに囚われず、のびのびと文章を書いていきたいです。
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あのころのわたしたち
  Mは、完璧な女の子だった。
 勉強ができて、いつもニコニコしていて可愛らしくて、絵もスポーツも上出来だった。中学2年生でそんな人がいるんだなあと、学級委員としてみんなの前に立つMを、羨望というより驚きのまなざしで注目していた。 
 Mは、誰と接しても垣根がないのも魅力だった。Mは飼っていた文鳥に「こまり」という名前をつけた。それは私がMに貸した漫画の登場人物の名前だった。「こまりちゃんがしゃべるようになった」と話すMの表情は子供っぽくて親しみやすく、普通の女の子だった。私もみんなと同じように、Mに好感を抱いていた。
 高校受験のときのことも思い出深い。第一志望の私立高校の受験日、試験会場でMにばったり会った。Mにとってここは滑り止めだという。結果、私は落ちて、Mは合格した。Mはこの学校を選ばず、第一志望の都立高に決めた。卒業間近にMから進路を聞いたとき、「(私立高校を選ばず)ごめんね」と言われた。他の人は「ごめんね、だなんて失礼だよね」とMを批判していたが、私にはMがどういう気持ちでごめんねと言ったか伝わっていたので、卑下されているような気持ちにはならなかった。
 中学2年生のときだけ同じクラスで、特別仲がよかったわけでもないのに、Mは高校生になっても毎年年賀状をくれた。Mの、女性らしくやさしい文字は、ほかの年賀状にまぎれていてもすぐに見つけることができた。
 社会人になってからもMから年賀状は届いた。「私は今、○○ギャラリーで働いています」と書かれていて、住所を見ると私の勤務先から近いことが分かった。この先会うこともないと思っていたけれど、急に思い立って、プリントアウトした地図を片手にMのいるギャラリーへ向かった。コンクリートの階段を下りると、ガラスのドアの向こうにあのころとまったく変わらないニコニコしたMがいた。緊張しながらドアを開けると、Mはひと目で私のことが分かり、私の名前を呼んだ。何をしゃべったか覚えていないくらい、私も相当緊張していたように思う。
 それから、Mとの交流が始まった。中学生のころは学校帰りに遊ぶこともなかったけれど、あのときの時間を取り戻すかのように、しょっちゅう連絡を取り合い、ごはんを食べたり、休みの日に遊びに出かけたりした。仕事の話やくだらない話、まじめな話に恋愛の話など、次から次へと絶え間なく続くので、会うときはいつも終電で帰るはめになった。
 あるときMに、「チエ坊は中学のときと変わらず小鹿みたいだね」と言われた。
 「小鹿?」
 「楽しいこととか面白いことがあると、素直にキャッキャと喜ぶ姿が、ちょうちょを追いかけている小鹿みたいだなって中学のころから思っていたよ。今もあのときと変わらずキラキラしているね」
 ずっとキラキラし続けているMにそんなことを言われて、私はとてもうれしかった。中学のときの私は周りに合わせるのは上手だったけれど、自分をどこまで出していいか分からず抑えていたので、いつも不完全燃焼な思いをしていた。だから、どうやったらMみたいに自然体でいられるのだろうと不思議に思っていた。するとMは、「私だって、マイペースになりきれるほどマイペースじゃなかったよ。いつも周りの人のことが気になって、自分より人のことを優先してしまうし。今でもそうなんだよ」と言った。
 社会人になったこのタイミングでMに再会できたことは、とても大きな出来事だった。このとき会えなかったら、成長途中の中学時代のことをいつまでも恥ずかしく思っていたに違いない。そんな友達と、これからできる思い出も共有できることは何より心強い。
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記憶に居座る

 私はけっこう、どうでもいいことを覚えているほうだと思う。

 中学1年生のときに同じクラスだったK君は、習字がとても上手だった。上手という範疇を超えて、まるでお手本のように美しい字を書いていた。とくに覚えているのは「上空」と書いたとき。空という字は、毛筆だとバランスが難しいのに、Kくんのは美しかった。K君は今どこで、何をしているんだろう。
 近所に住んでいた双子の兄弟の名前。二人をまとめて下の名前で呼ぶと、「弥次さん喜多さん」みたいに響きがよく、苗字とのバランスもよかった。たぶん一生忘れない。
 小2のころ同じクラスだった、乱暴で意地悪な女の子。うちに遊びにきたときに提げていたポシェットをよく見ると、2枚の雑巾を重ねて縫い合わせたものだった。縫い目も驚くほどざっくりしている。聞けば「お兄ちゃんが作ってくれたの」と言っていたっけ。
 
 思い出そうとしても、思い出せないこともある。

 中学生のときに好きだったO君の顔。初恋なのに輪郭すら思い出せない。卒業アルバムを見ればそのときは思い出すのだが、すぐに思い出せなくなる。好きすぎて緊張して顔をよく見ていなかったのか、それとも記憶に残りづらい顔だったのか。いつも左肩にかばんをかけて、ブレザーがヨレていたことは思い出せる。でもすぐには、甘いとか濃いとか、顔の系統すら思い出せない。だから、今街ですれ違ったとしても気付けないと思う。
 新卒で入社した旅行会社のときの上司の名前。2年目には社員にしてくれたにも関わらず、すぐに転職を決意してしまった私の目の前で、震えながら怒りを抑えていたちょっと出っ歯のあの人。あの震え方は強烈だった。なのに、名前が思い出せない。
 
 こうやって思い返してみると、それぞれのシーンを静止画のように覚えていることに気がついた。写真よりはもう少し立体的で動き出しそうな、映像に近い感じ。毛筆の、美しい文字のバランス、語呂のいい双子の名前を誰かが呼んで、二人が振り返っているところ、雑巾ポシェットの起毛したパイル地、そこに走る不恰好な縫い目。O君の顔と上司の名前は思い出せないけれど、ヨレたブレザーや、震えと出っ歯は鮮明に思い出せる。
 くだらなくて、どうでもいいことだと思う。でも人の記憶に残ることは、うれしいことではないだろうか。
わたしも誰かの記憶の中に、ちょこんとお邪魔しては時々思い出してもらえるとうれしい。たとえへんな子、いやな子であったとしても、思い出してもらえることは光栄である。

 
 

 

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